12月16日(金)第4回米山ゼミ

第4回米山ゼミ

「六甲から神戸をデザインする」
講師/弓削忠生氏(弓削牧場)


神戸市の中心部からわずか20分程車を走らせると、豊かな自然に囲まれた「弓削牧場」が姿を現す。場長の弓削忠生さんと和子さんのご夫妻は、60頭の牛たちを24時間完全放牧で育てて乳を搾り、チーズや石鹸などの加工品も販売している。
牛舎のほかにチーズ工房、菓子工房といった施設があり、ハーブの庭や畑が広がる敷地内を一般開放している。また、レストラン「ヤルゴイ」ではチーズ料理のフルコースを提供。
米山シェフも修業時代からしばしば足を運んでいるといい、「さすが!と思うことがたくさんあります」と、第4回ゼミの講師である弓削忠生さんを紹介した。


住宅地として拓かれる前の山間部で酪農をスタート


こんばんは、ただ今紹介していただきました弓削です。
山から下りてきてこんな高いビルで講義するなんて、少しフラフラするような感じですが、なかなかこんな機会はないので、夜景を楽しみながらお話させてもらいます。まずは、牧場がどういう環境にあるのかを映像を通してみていただきたいと思います。


スライドに写っているイラストが弓削牧場のシンボルマークです。日本の言葉で“お裾分け”という言葉がありますが、生産者として私たち家族がお分けしているものは安心安全だということをわかっていただけるメッセージとして、3人の子どもをモデルにこのマークを作りました。
酪農家として西日本で始めてチーズを作ったのが26年前(昭和59年)のこと。当時の牧場の周りの風景をご覧ください。それが現在はこういう形に変わっています。写真にある丸のところに牛糞を集めて堆肥を作っているのですが、いつの間にか牧場全体が完全に住宅に囲まれてしまいました。
牧場の入り口から600mほど行くと牛舎が見えてきます。
最初は牛舎の中を歩いていた牛たちですが、「自動搾乳ロボット」を入れたため、お乳を搾って欲しくなればロボットのあるところへ行けばいいんだとわかったらしく、なかなか動かなくなってしまいました。この牛舎で出た堆肥はすべて天日乾燥し、発酵させるなどして肥料として使っています。牛や糞の臭いを消していこうと敷地内でハーブ栽培もしています。


また、牧場の入り口にビニルハウスを作り野菜を作っています。ここでできたものはここで消費する。いわば“地産地消”を牧場の中で実践しています。
チーズ工房ではチーズ作りのほかに牛乳の瓶詰をおこなっています。26年前にはチーズ作り専用の機械がなかったので、町の工場へ頼んで作ってもらっていました。その隣の菓子工房では、スコーンやシフォンケーキを作っています。


自分たちがつくったチーズやお菓子を食べていただくために、昭和62年に提案型のレストハウスを始めました。現在の商品ラインナップは、カマンベールチーズ、フロマージュ、シフォンケーキ、石鹸、蜂蜜そして化粧水。石鹸作りに使っていたホエー(乳清)には、保湿や潤いを与える効果があると、クレオパトラの時代から言われていました。そこで、化粧水としても使えたらいいねということで、ミルクの臭いを抑えてくれるハーブ約8種類を加えて化粧水になりました。
さらに平成9年からは、もっと牧場についても食についても知ってもらうため結婚式を行うようになりました。去年までで約100組の方が式をあげました。また、牧場内でカルチャースクールや食のワークショップも行っています。「なかなか牧場から離れられない」という酪農家さんたちのためにライブも開催しました。


隣には神戸市民最大の遺産だと思っている神戸市立森林植物園があり、牧場にはないソフトクリームなどを出させていただいています。「ヤルゴイ」という店名は、それを食べると家畜が一気に力を蓄えるといわれるモンゴルの花の名前から取りました。できることなら、お弁当を持ってくるのではなく、ここで出来たものを食べ、自然を感じていただきたいですね。


“臭い”が原因で移転。交通の便の悪さが加工業のきっかけに

当牧場の面積は9ヘクタール。今は9名のスタッフと一緒に牛を60頭飼っています。 第二次世界大戦前の昭和14年くらいに、私の父が脱サラしてスタートさせました。父は高等農林学校を出て会社勤めをしていましたが、「戦争で食べ物に困っても、農業をしていれは家族だけでも自給自足できるのでは?」と、今の牧場から西に4キロくらい離れた場所で牧場を始めたようです。神戸電鉄の箕谷駅まで走って2~3分の便利な場所でした。 当時は「50アールの土地を持っていれば、飯を食える」と言われていました。それで食べられなかったら乳牛を飼って有畜農業をすればいいのだ、とも。当時、乳牛はたんぱく質の供給基地となっていたからです。 神戸電鉄が台風や大雪で止まってしまい、街中の牛乳処理工場まで出荷出来ないとき、父は牛乳から生クリームやバターを作り、あるいは発酵させてカッテージチーズを作ったものです。お米がないときはこれらを食べる。そういう風にして父は私たちを育ててくれました。 ところが『日本改造論』などの影響か、私が高校を卒業して1年アメリカへ行っている間に、一気に牧場周辺が住宅に変わってしまいました。すると、牛の臭いも工場から出てくる排気と同じように“公害”とみなされ、牧場移転を余儀なくされました。亡くなった父も予想していなかったと思います。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「50アールの土地を持っていれば、飯を食える」
――その理由を、弓削さんは次のようなストーリーで教えてくれた。
まず2反の山と3反の土地を持つ。2反の山は、山から間伐材を刈って炭をつくり、エネルギー源にする。一方、3反の田んぼで米と麦を二毛作する。
また乳牛がいれば毎日搾乳することが出来るし、深く田んぼを耕してくれるので、土壌団粒の性質が良くなり、作物がしっかり根を張るようになる。土に牛糞をたっぷり入れることも出来るので、お米やその他の作物がよく育つだろう、ということだ。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

引越し後、電気が通るまでの5年間は、発電機だけで生活しました。灯りが欲しければ、まずは発電機を動かすところから始めなければなりません。スイッチひとつで電気がつく生活が、いかに素晴らしいのかを実感しました。
その後、第一次オイルショックを経て、やっと電気を引っ張ってきて、「これでやっと本格的に酪農が出来るなぁ」と思っていたら、今度は新神戸トンネルと北神急行の工事が始まり、いつの間にか井戸から水が出なくなっていました。牛にやる水はため池からとり、新たに井戸を掘って私たちの飲み水も確保しました。今現在も、そのときの井戸に全て頼っています。いい言葉で言えば「地下200mから純粋な神戸ウォーターを飲んでいる」というわけです。


海外の文化をうまく採り入れるのが“神戸らしさ”

昔から神戸は、山があって海があって素敵な箱庭のような町です。しかし山が削られ海へ行くような都市計画が立てられる中で、自然とどう共生していくのかを考えることが、これからの時代には大切なのかと思います。また、そんな住宅地の中で牧場が果たす役割も何かあるはずだと思います。そのためにも、あの場所で牧場を残していきたい、と。
ところが牛乳の消費量は低下する一方です。私たち日本人は牛乳を飲むとお腹がゴロゴロする人が約7割。しかし、牛乳を飲むよりずっと前から食べてきた発酵食品なら大丈夫です。昔からチーズづくりをしている父親を見ていたから乳加工ならできるだろう、日本は湿度が高いからカビのはえるチーズなら大丈夫だろうと、今思うと短絡的なんですが、牧場を残すために何かしようと考えたのです。
昭和53年頃、チーズを作ろうと資料を集め始めました。GNPが世界で№2の国ですから、知識はすぐ手に入るだろうと思ったのに何もない。大手の雪印乳業でさえ、5年前に初めてチーズ研究所が出来たばかりで、木で出来た“曲げわっぱ”の中に入っているものがナチュラルチーズだということで、山梨で材料を集めて研究員10名くらいで一所懸命わっぱを作っていたそうです。
私はフランス領事館に「チーズの資料が欲しい」と問い合わせて、宣伝パンフレットをドッサリ手に入れました。チーズ工場の様子や使っている道具がすべて写っていました。それを町の工場に見せて「同じものを作って」と依頼しましたが、形はわかってもスケールがわかりません。そこで、一枚のスチールで何個作れるのかを教えてもらい、一番安くあがるモールド(型)を作っていただきました。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
身近にあるものを、チーズ作りの道具に転用したこともあるそうだ。たとえば、家庭で天麩羅をしたときに油切りに使うステンレス製の網を改良したり、「同じたんぱく質を固めているのだから」と、豆腐屋の道具を試してみたり。弓削さんは、「色々な文化が出入り神戸だからこそ、こうした創意工夫のチャンスが与えられたのでは?」と、国際的で先取りの気質がある町の魅力を語ってくれた。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


お客様に育てていただいた26年間


今から26年前、日本国内のチーズの年間消費量は何グラムだったと思いますか?・・・・・・たった800グラムで、その80%はプロセスチーズ。オーストラリアからナチュラルチーズを仕入れてブレンドして作っていました。というのも輸入自由化で一番先に上がったのはナチュラルチーズだったからです。
プロセスチーズが自由化品目から外れていたのは、日本ではチーズの消費はそんなに伸びないと思われていましたし、何から作られているかも知られておらず、原料となるナチュラルチーズを止めないと意味がないというところまで発想できなかったのです。
また、当時はJAや兵庫県、神戸市などを訪ねても、チーズづくりに対して認識のある担当者はいないし、農家が生産・加工・販売を一貫して手がかける“第6次産業”に対しても認識が低かったです。
そこで私は、ダイレクトに霞ヶ関に電話をしました。そうしましたら一時間も立たないうちに「弓削さん、それは面白い。霞ヶ関でも何かお手伝いできることがあれば!」と返事がありました。そのおかげで、今の私があるのではないかと思います。
最初はなかなか売れませんでしたが、うちのチーズをたまたま買って気に入ってくださったお客さんが、イカリスーパーに問い合わせてくださったようで、イカリさんは「サクラじゃないのか?」と疑いつつも連絡をくれました。
芦屋のお店に “出来立て”と“3、4日置いたもの”、“賞味期限が近いもの”の3種類のサンプルを持っていくと、商品部長の方がパクッと食べるや、「このチーズは、イカリが狙っていた通りの商品だ」と言ってくださったのです。どうしても160グラム・700円くらいになる、卸価格でも600円くらいだとお伝えすると、「700円を20円落としてでも売りたい」と。私たちも老舗の看板をつぶさないように商品を作らないといけないと思いました。
一度、出荷したカマンベールを牧場で改めて食べてみると美味しくなかったため、「引き取らせてください」と申し出たことがありました。しかし社長は、陳列する前にみんなで試食したが美味しかったとおっしゃり、そして、「弓削さん、大丈夫ですよ。神戸には、消費者の方が大事に商品を育ててくれる風土がある。その消費者に教えてもらいなさい」と励ましてくれたのです。
ここまでこられたのは、お取引先や私たちの商品を26年間買い続けてくださったお客様、頑張ってくれた若いスタッフたちのおかげ。本当に感謝しています。
農家にとってのCSRは消費者の安心安全をしっかり守ること、自分たちの役目役割は都市の中で牧場を続けることではないかと思います。


米山シェフとの一問一答

米山:弓削牧場は、“循環型農業”を実践しておられますが、これは日々の成り行きからできたのでしょうか? それとも最初からある程度の青写真を描いていたのでしょうか?
弓削:青写真は全くありませんでした。自分の思いで動いてきた結果です。単純に牛乳が余ってきたから加工しようと思ったし、石鹸や化粧品などは、「自分にとって良いんだからみんなも使ってみたら?」という思いが大きいですね。また、朝五時から搾乳してつくったものが賞味期限で切られて流れてしまうのであれば、生産者として何とか食べてほしいなぁと、そのためにはこんな食べ方もあるよと提案したかったからレストランを作りました。でも、米山さんのように作ったものを消費者の非常に近いところでデコレーションをしていくのは絶対にできないと思っています。
米山:春のいい季節になれば、何もしなくてもレストランにお客さんは来ると思いますが、そういった施設がなければお客さんは来ませんよね?
弓削:例えば女性のスカートが時代によって長くなったり短くなったりするように、自然の循環とともに人間も循環しているのだと思います。そういった考え方は食の中にもあるのではないかと思います。
また、僕らは「食べて美味しい」ということをうまく表現出来ませんが、マスメディアの方が代わりに表現してくれたおかげでうまくいっているのかもと思います。
米山:人を呼び込むために大きな設備投資をしたと思います。最初から、あれだけ人が来るようになると見えていましたか?
弓削:いや、昭和62年に「ヤンゴイ」というレストハウスを作ったときは、商売として成り立つとかではなく自己満足にすぎませんでした。ところがそこへ来て下さったお客さんが色々な情報を持ってきてくださったことで、変わっていったのだと思います。たとえば、サラダ。生野菜は草食獣の食べ物で人間の食料ではないとか、農耕民族は食べるが牧畜民族は食べないと言われる時代があったようですが、それに反発した一部の市民が食べるようになったのが、“サラダ”の起源と言われています。つまり、僕らが日本の神戸でチーズを作り始めた頃、全国で800グラムしか消費されないナチュラルチーズを食べたのは、三角形の頂点に近い人だったと思います。その人たちが探して、探して、私の牧場に来ていただいたというのは感激でした。
米山:先代の場所から移転することになったとき、神戸に居残る意味はあったのですか?
弓削:私は神戸っ子なんです。神戸だからここに居たい。自分にとって一番合う空気だったのかもしれません。
米山:放牧についてどのようにお考えなのですか?「このくらいの広さに1頭」というような形で考えるとマックスが決まってしまいますよね?
弓削:本当に自給しようと思うと、牛一頭に対して1ヘクタールが必要です。ですから、単純に計算すると日本では500万頭が限界です。私の牧場は家も含めて9ヘクタールですが、約8ヘクタール。最悪の場合、8頭まで減らして家族や関連する人を守ることが出来る、という感覚です。
米山:若い方が「独立したい」と言ってきたら、勧めますか? 食べていけるものなのでしょうか?
弓削:何かを始めるには、やる気・元気・根気・のん気・勇気の5気が大事だと常々言っています。
いくらやる気があっても健康でないと無理ですし、コツコツやる根気がないと続きません。しかし、それだけだと肩がこってしまいますので、時にはのん気が必要です。そして、そこへ飛び込む勇気がなければ始まりません。
「食べていくため」に、日本の農家の8割が兼業なのです。お米だけで考えたら、10アールあたり8俵(60kg×8)が目安。今は、政府が1俵1~2万円くらいを提示していますので年間約16万円。一丁作ったところで年間160万円にしかなりません。ヨーロッパも同じような事情ですが、国境などで農業を営んでいる農家には国防予算が入ってきます。また、環境を守っているということでリンゴの木を植えるといくらというように補助が付くこともあります。残念ながら、こうした助成が日本にはありません。それから、兵庫県に乳牛は18000頭しかいません。日本全体で考えても200万頭だけ。肉牛も400万頭だけです。対して、アメリカが“BSE問題”で殺した牛の数は400万頭です。ということは、今もし日本で200万頭の乳牛が死んだら、牛乳の仕入れを海外に頼らざるをえなくなってきます。
薄い薄い食文化の上に日本という国は成り立っている、そういうことを認識していただきたい。
米山:完全に外国からの輸入に頼り、経済だけ活性させていく方法もあると思いますが、TPPの流れで食べ物のことを不安視している方もいらっしゃいます。弓削さんは、どのような流れがいいと思っていますか?
弓削:人口1億人の国で農地がいくらでも余ってきているのですから、そこに人を送っていけるシステムを作ることが大切。自給率を上げるというより、有事の際に使える土を持っている人が常にいることが大切だと思います。
今、兵庫みどり公社が行っている駅前講座で講義の機会をいただいているのですが、6回の講座でだいたい理解できるようになっています。もっと学びたければ。酪農センターにいって農地を借りて実習すると県の普及員の方から深くまで教えてもらえます。卒業時に相談すれば、後継者がいないので農地を貸してもいいよという方を探して斡旋してもらえますよ。
米山:日本では農業法人化されようとしているところがあり、大きな大規模農業は難しいのでしょうか?
弓削:難しいです。耕地面積が小さいうえ、中山間地が多く段々畑のようなところがほとんど。そういった土地を20ヘクタールにまとめるのは非常に難しい。だからこそ、韓国や中国のように大規模で作られたものよりも、より美味しいものをより早い段階で作って子どもたちに食べ手もらい、「自国で作ったものはやっぱり美味しいな」と感じる舌を作らないといけないと思います。子どもたちは30年後の国を作る人なのですから。
今、アーカンソン州に日本の消費者やコンサルティング会社が入ったりして、ありとあらゆる品種の日本米をつくったり、霜降りの肉のとれる肉牛を飲み水まで改良して育て、さらに良質の霜降り肉を作ろうとしています。値段で競争すると絶対に負けるでしょう。
米山:逆に日本でいいものを作り、TPPを逆に利用して海外に輸出というのも考えられませんか?
弓削:そういうことを前提にした施策を、もっと早い段階でやっておかないといけないと思います。
たとえば、驚くほどたくさんの産品に“兵庫認証マーク”がついていますが、もっとハードルの高い認証マークを作っておくなど、モノの差別化ということを慣れておけば、いざ自由化されたときに条件闘争が出来るかと思います。
私は、日本人ならやって出来ないことはないと思います。チーズなら4000年の歴史があり、モーゼの時代からチーズを食べてきたヨーロッパ人に勝つのは難しいかもしれませんが、彼らにとってのコメ文化には、それほど長い歴史はありませんから。
最近、日本の農家が海外へ視察に行くときはイタリアに行きます。モッツァレラチーズが出来る産地は実は穀倉地帯で、そこの大規模な水田農法を見学するのです。また農業でもっと進んでいるところはイスラエルで、「近代農法の宝庫」と言われています。ITをフルに活用して、苗一つにどの程度水をやるのかまで計算し、システム化して育てます。
米山:弓削さんの行っている“循環型”は、食べることが困らない形で出来ています。完成形はまだその先にはあるのでしょうか?
弓削:完成形はないというか、常に未完成で、常に動き続けているものだからです。自然環境は常に変わるものですのでそれにあったものを作っていかなければ、と思っています。
米山:ありがとうございました。


HP「弓削牧場」
http://yugefarm.com/
ブログ「場長のつれづれ日記」
http://yugefarm.blog90.fc2.com/